”多久和”姓について
”多久和”姓とは かわったものです。 しかし いわれは 確かなものです。
すなわち 明治に入り 苗字の使用が認められると 出雲平野 平田の
お百姓さんは その昔 山城 多久和城にかり出された経験より
”多久和”姓を 名乗る様になったものです。 その事は 平田の実家の
古文書に明記されていた事を 思い出されます。
実家の 祖父 多久和新四郎は 多久和城を 保存する様に
明治・大正時代に 動いたときもありました。
島根県雲南市三刀屋町多久和
Yahoo地図情報 島根県 雲南市 三刀屋町多久和
三刀屋町 近辺図 三刀屋 多久和 (5万分の一 地図)
永井博士 生い立ちの家 (在 多久和)
近年 下記の 動きが出てきたと知り得ました。
雲南研究室 史跡 多久和城について (抜粋 下記)
多久和城は三刀屋町大字多久和にある城跡で、戦国期応仁の乱で戦功のあった守護代(
しゅごだい)尼子清定(あまごきよさだ)が、多久和郷を支配するようになり整備された
ものといわれている。それ以後尼子氏の重要な拠点として、歴史に出ている。
三刀屋町は奥出雲の政治、経済、文化の中心として、古代から栄えた由緒ある歴史の町です。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話発祥にまつわる数々の伝説をはじめ、長い時を越えて語り継がれてきた民話や、古代から中世にかけて歴史上貴重な史跡が数多く残されています。この先人からの貴重な歴史的遺産、財産を後世に継承するために、今回は「民話」と「史跡」に注目し、デジタル技術を用いてアーカイブ(収蔵)し、紹介していきます。
多久和城跡(戦国時代) を ご参照下さい。 今の 様子が 写真入りにて
紹介されています。 なお 藤長年表によると 1570年 毛利輝元 出雲に侵入し、
尼子方の 出雲多久和城をおとすと記されています。
現地に出向いたのは 大学時代 母の実家(松江市西持田)の近くに
多久和という 地名をみつけたのが 最初で 母の 実姉 3人で 福岡〜
西持田〜多久和と ドライブしたのが 35年余前の事で、
その後 クンタキンテ ブームがきました。
岩波文庫にも 簡単に 多久和城の事が 名城名鑑の 末尾に
記載されています。 その後 10年ほど前 父に聞いたところ
中学時代に 祖父より 聞かされたとして、その時の
古い 多久和城跡のセピア色写真と 父の書き付けを
ゆずり受けています。 また 祖父は 前述の様に 多久和城
保存の為に 読売新聞 記者時代に 国に働きかけたと聞いています。
多久和の 多久は 佐賀県に 多久聖廟 がある様に
中国からきた名前ときいており、それ以上は 詳細不明です。
また 対馬に 多久頭魂神社 があり 中国〜朝鮮半島〜
対馬〜九州〜島根と 人が動いたのでは?
( 参考例として 高麗
神社があります)
出雲平野にも 多久和の地名が 残っており、
上記の話しと関連しているのでは。 事実 父方の
本家は (旧)平田市 出雲平野にありました。
( 島根県出雲市灘分町-ナダブンチョウ-多久和
グーグルマップ 元 平田市 斐伊川のそばです )
実際には 出雲平野の 農民が 多久和城にかり出され
そこには 頭数を数える 窪地があって そこで 人足を
数えたのが 事実で 古文書に書かれていたと 小学生の時に
平田の 本家で 聞かされた記憶が残っています。
山中鹿之助が 活躍した戦国時代の事で
出雲平野〜多久和城は 斐伊川にてつながっています。
多久和城跡に祀る神々
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遠景 多久和城跡遠景. 多久和城跡に祀る神々 多久和城跡に祀る神々
県別 日本の姓氏 多久和−島根県 (抜粋 下記)
野津・勝部・錦織・常松・門脇・森脇・吾郷・江角などの姓がこの県らしい。匹見・引野・布野・石飛・多久和などの姓も多い。江◯姓、福間・藤間などの◯間姓、そして◯津姓もこの県らしい姓だ。またこの県はむかし砂鉄や和洞で有名なところ。鍛冶・鉄・小鉄・荒金・六路・三刀・鉄原・火脚などの鉄や刀鍛冶に関連した姓も多い。

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